努力と才能
こんにちは。孝太です。
さて、前回から割と間が空いてしまいましたが、前回の内容を書くのがかなり難しくて、書き終わった瞬間に、満足感で満たされまくった結果、すっかり忘れておりました(笑)
で、今回の内容ですが、タイトルにある通り、努力と才能のかかわりについての、持論をまたしてもグダグダと話していこうかなと思います。
まず、僕自身は努力はできないです(笑)
まぁ、もちろん人によって努力の基準は違ってくるかと思いますが、僕の中での努力の基準としては、やりたくないことや大変なこと、面倒なことを、将来のためと思って行動できることだと思ってます。
その観点で考えると、僕自身は努力できないと思っております。
で、タイトルにあるもう一つのワード、才能についてですが、努力できることは才能だと思っています。
なぜそう思うかといいますと、才能が関係なければ、誰でも一定数は行動を起こせてるはずだなと思いまして、これは僕自身の話になってしまいますが、努力するのってぶっちゃけめんどくさいじゃないですか?(笑)
そのめんどくさいことを、めんどくさいからやらないという選択肢が取れる中で、それをやろうとするっていうのは、才能がないとできないことだと思っています。
じゃあ、今って努力できなかったせいでひどい生活を送っているかというと、そういうわけではないんですよね。
で、そんなこと考えてるうちにふと思いついたことがありまして、それが
努力を努力だと思わない方法があるんじゃないか、って考えたんですね。
で、今まで自分がどんなことをしてきて、今のある程度満足できる状態になってるか、考えたんですけど、
あくまでも、たぶんの話ですが、やりたいことやってたらいろんなことが身についたのかなって思いました。要は興味があることとか今自分が好きなものとかですね。
で、そこで思いついたものが
「やらなきゃいけないことに対して、興味が持てれば楽しくできるんじゃね」
ってことです。
興味が持てれば、その物事が努力しなきゃいけないことではなく、自分がやりたいことに変わると思うので、努力と思わずに行うことができるのかなと思いました。
といっても、どうすれば興味を持てるのかは正直わからないですけど、もし自分で見つけることができたら、人生が楽しくなるかもしれませんね。
ただ、もしそれでも努力できなくて無理だって人は、努力をしなくていい選択肢を選ぶといいかもしれません。
もちろん、そう簡単に取れる選択肢ではないとは思いますが、できないことに対してずっと悩み続けて、ストレスで体を壊すよりも、一度諦めて自分のやりたいことをひたすらやるのも、一種の幸せにはなるんじゃないかなー、と思います。
最悪日本には生活保護という素晴らしい制度がありますからね(笑)
さて、今回はこんな感じで終わります。
なるべく次からは、間があかないように頑張ろうと思います(笑)
それでは。